私だけの私だけの𝑲𝒏𝒊𝒈𝒉𝒕 𝑲.𝑲…
貴方の『聖水』に掛ける想いとこだわりは群を抜いてる。
聖なるものを求めるというと、
何やら怪しい感じがするかもしれない。
しかし、宗教に帰依したり、あるいは最近流行りの推し活をしたりすることもまた、ある意味で聖なるものを求める行為になり得る。
そう考えると、
人間とてごく自然な行為に思えてこない?
Pew Research Centerの調査によると世界人口の約76〜84%の人が何らかの宗教や信仰をもっていると考えられている。宗教は別にしても、恐らく大抵の人間には、ファンのような存在がいるのではないかな?
なぜなら、人はそういう対象をもたないと生きていけない存在だからです。
宗教学者ミルチャ・エリアーデは、人間のことを〝ホモ・レリギオースス〟と表現した。直訳すると人間は宗教的な生き物だという意味。
エリアーデによると、そんな宗教的な生き物である人間は〝聖なるもの〟を求める。いわばそれは〝特別な空間〟であり〝特別な体験〟のことよ。
日常は何もなければ均一で無意味な時空間。
これは聖に対する俗といってもいい。
しかし、人間はそうした無意味な俗の時空間だけでは生きられないのよ。
だから、聖なるものを求める。
それは聖体示現(ヒエロファニー)という形をとって現れる。
物理的なものから、無形的なものまで含めて。
彼の理論が普遍的なのは、これが宗教の話にとどまるものではなく、広く世界に秩序を齎す力として論じられている点よ。
特定の宗教を信じていなくても『罰が当たるから悪いことをしない』というのは、その一例。
つまり、聖なるものとは、貴方が人間である限り、自然に求めてしまう日常の中の特別な空間なのよ。
それが、我が五反田城 秘密の花園…
さて、そろそろ貴方の話を聴かせてもらいましょうか。
𝑻𝒐 𝒃𝒆 𝒄𝒐𝒏𝒕𝒊𝒏𝒖𝒆𝒅…



