彼は車椅子に乗っていた。
私は10代の頃から、障害…虐待…貧困…様々なハンディキャップを抱えたお子さんを支援する慈善事業に参画してきた。
当時20歳の私が出逢ったのは、
あまりにも笑顔が眩しい15歳の少年だった。
彼の病名は、デュシェンヌ型筋ジストロフィー。
男児の出生の約5000~6000人に1人の割合で発生する。全身の筋力低下が起こる進行性の難病。根本的な治療法はまだない。
殆どの場合、12歳までに車椅子の使用が必要になり、呼吸筋の筋力低下が進むと、肺炎などの病気にかかりやすくなる。呼吸を補助する人工呼吸器を使用していない場合、大半の患者が20歳までに死亡する。(人工呼吸器を使用している小児は30代以降まで生存できることがある)
彼と初めて一緒に歩く時、
私は、どうしていいか迷ってしまった。
極力自分の力で進もうとする君…
手を貸していいものか…
どんなふうに手助けすれば、君は助かる?
不意に、彼が段差に躓いて…
「大丈夫?」
「ももか先生…
こんな時は『大丈夫?』と訊くより、
『何をしたらいいですか?』と訊いて欲しい。
『大丈夫ですか?』と訊くと、
人によっては『大丈夫です』と答えてしまう。
全然〝大丈夫じゃない〟のにね…
でも『何をしたらいい?』と訊かれると、
『じゃあ〇〇してください』と答え易いんだ。
殆どの人は、介助の仕方を知らないから、
僕らは教える、説明することには慣れてる。」
キラキラ輝く瞳で教えてくれた聡明な君。
「教えてくれて、ありがとう。
私は、君に今、なにをしたらいいですか?」
懐かしいよ…
あれからもう7年以上経つんだね。
「明日はもうできないかもしれないから…」
今という一瞬を積み重ね続ける貴方は、
あいもかわらず、綺麗だよ。
……
改めて考えてみると、私たちはつい「〝大丈夫?〟」と訊いてしまうことがあるものだ。
例えば誰かが具合が悪そうな時、落ち込んでいる時、何かの役割を任されたときなど「〝大丈夫?〟」と訊くと、相手は咄嗟に「〝大丈夫です〟」と答えてしまう。
けれど…
本当は心細くなっているかもしれない。
そんな時に、もう一歩踏み込む。
「なにをすればいいですか?」
「なにか手伝いましょうか?」
「私にできることは遠慮なく言ってください」
そうして積極的な姿勢を示すだけで「じゃあ、お願いしてもいいですか?」となることがある。
だから今の私はより具体的に、
「〇〇なら、協力できます」
「△△なら、任せてください」
出来ることを予め伝えておくようにしている。
そうすると更に頼りやすくなる。
「今のところ、大丈夫です」と言われても、力になりたいという気持ちは伝わるはず。
……
「百々果さんは、
どうしてそんなに慈善事業に熱中するの?」
我が国民よ。
困っている人に目を向け助けることは、
大人として最低限の役割だよ。
追伸
私の夢はShangri-la….
そして、その先に誰にとっても心地よく、やさしい場所を創ることだ。
「もちろん、私は大丈夫だよ」
私は周囲からは理解し難いほど強い執念をもって、着実に成し遂げたい目標へと向かい、心をコントロールしながら、成長していく。
私の存在意義を認めてもらうために、
百の言葉で語り、百の行動で裏付ける。
そして、私という人間…女王に投資する価値を証明していく。
必ず、夢を叶えてみせる。
だから…
もう少し、待っていて欲しい。