「こんなに丁寧で優しい女王様見たことない。

本当に女王様っぽくないんですね。」


……


その人間の本質を見抜きたいなら、丁寧に接して、自分から与えて、ちゃんと大切にするといい。


その結果、感謝や丁寧さが返ってくるような、ホカホカあたためてくれる人を選ぶべきよ。


逆にお礼すらない人間、何故か調子に乗る人間、返そうとする姿勢が全くない人間なら〝与えない人間〟だから、そっと遠めの距離で関わる。


優しくされた時の対応に、

その人の人となりが表れる、そういうものよ。


…というと、

「見返りを求めて優しくするのはどうなの?」

「そういう下心って見抜かれない?」

…などという声が上がりそうだね。


確かに、

「見返りが欲しい!ください!」

「絶対に見抜きたい!!!」

という感情しかない儘に優しくすると、

それは相手に伝わるだろうね。


しかし本来、人に優しくするという行為は、

〝自分がやりたいこと〟ではないのかな?


このBlogを読んでいる貴方も、できる範囲で他者に優しくありたいと想っているはず。


だから、丁寧に接して、自分から与えて、ちゃんと大切にするというのは、相手の本質を見抜く以前に〝自分がそうでありたいからすること〟よね。


〝ありたい自分で素直に振る舞うと、必ずおまけの本質を見抜ける特典がついてくる〟ので、いつも通り、人に優しくして、観察していたら、自然とその人の本質が分かるよ、という話だよ。


追伸


あまりお勧めしないのは、

〝見抜くために疑う行為〟かな…


どういうわけか行動していない人間ほど、自分からアクションを起こさない割に相手を疑うことが日課になっている。


たとえば、私に大して逢いにも来ないくせに…


「百々果さんのこと、信じて大丈夫ですか?」「親切過ぎる…何か騙そうとしてないですか?」

「もしかして、僕のこと好きなんですか?」


「私が信用するに値する人間か如何か判断するのは、貴方でしょう。」

「貴方を騙して私に何のメリットもない。」

「好きか嫌いか…私は貴方に関心すらないよ。」


自分からアクションせず、来るものを疑っていても何も分からないよ。


分かりたいなら、能動的に動くこと。


その結果、相手がどう動くのか?に答えは在る。

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