今の時代、情報を瞬時に見ることが当たり前になっている。
テレビのチャンネルのザッピングからネットサーフィン、そしてSNS動画のスクロールまで…
「そうした行為にどんな意味があるのか?」
…そんなことを考えていた。
頭の中で探す。
参考になる人物は必ず居るはず…
……
ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミン…
『パサージュ論』…
〝パサージュ〟というのは、19世紀にパリの中心街付近に登場した〝回廊型のアーケード〟のこと。
もともとフランス語で〝通り抜け〟を意味するように、狭い通路の両側にたくさんの店のショーウィンドウが連続していて、あたかも無数の情報の中を通り抜けていくような感覚に囚われる。
ベンヤミン自身も、そんなパサージュを通り抜けながら、ふと目にしたものをテーマに、社会や時代に関する考察をしていたという…
彼は目的をもたずに街路を彷徨う人のことを〝遊歩者〟と呼んだが、それは同時にアーケードという情報を観察する〝観察者〟でもあった。
パサージュには19世紀当時の人々の〝夢〟が投影されていたという…
ショーウィンドウを見れば分かるように、そこに並べられている商品は人々が求める夢だった。
現代に流れる情報も、同じ人々の〝夢〟…
何故ならば、買い物さえネットで行う現代人は実際の街の中のアーケードを通り抜けることは少なくなったけれども、代わりに日々ネット上のアーケードを通り抜けているから…
そうして、
貴方はそこで目にする私に〝夢〟を抱いている。
ねぇ…そうでしょ?
追伸
SNSをパサージュ論で分析してみた。
SNSはひとつのメッセージを深く見るというよりも、多くのメッセージを一度に見るメディアだといえる。
その意味でアーケードの通り抜けと同じ効果がある。
ただSNSの場合、同じような情報に偏る。
SNSのアルゴリズムは基本的に自分の好きな情報が提示されるようにできているので、どうしても意外な情報に触れる機会が限定されてしまう。
しかし、それでもいいのではないかな…
それもいいのではないかな…
いや〝それが〟いいのではないかな…
自分の〝好きなもの〟をたくさん見て、
〝夢を明確化〟していくことも、大切だよ。
これが私がSNS嫌いを克服し、Fantiaお尻アナル特化〜百々果のお部屋〜を開設した経緯である。
私は通り抜けに意義を見出す。
そして、貴方にやさしい夢を届けるよ。
期待してて。

