先日、褒める≒認めるという概念についてBlogに綴っておいた。


褒めるという行為は、人を動かすための非常に強力な麻薬であるが故に、その麻薬性に女王である私は気をつけなければならない。


「僕は、相手をどう褒めたらいいんだろうか?」


貴方らしい、素直な問いだよね。


そうね…

もしも短期的な成果を貴方に都合よく、できるだけ早く掻き集めたいのであれば、もう叱ったり、小言を言ったりするのは一切やめて、褒めて褒めて褒めちぎればよい。


その代わり、その場合は褒め方は表層的であってはならないわ。


どんなに黒い動機があったとしても、相手を褒めるのであれば、本気で心底褒めること。

心にもないことを口先だけで語っても、相手は褒められたとは感じない。

本気で褒めることができるならば、短期的にはその方が高確率で成果を最大化させる。


しかしながら、もしも貴方が、持続可能な組織を創ることにコミットしているのであれば、やはり、その麻薬に頼り過ぎてはならないと、私は想います。


私は褒めることで私の奴隷を増やすのではなく、認めることで自立した国民を育てるように相手を尊重し、それぞれの人生のために相手を本気にすることに集中してる。


それは先日綴った通り、結果を褒めるのではなく、結果をもたらす確率を高めるその人の特徴〝慈しむ〟ということだよ。


私の中では、そもそも「褒める」は、「認める」というよりも「愛する」「感謝する」という言葉の方が表現としてしっくりくる。


貴方の心にありがたく手を合わせる感覚…

…うまく伝わるかな?


そして、相手を褒める(≒認める)ということは、相手にとっては時として厳しさにも変化する。


私が貴方の役割と特徴を認めるということは、私の中には貴方に対する低くはない期待値が設定されているからよ。

このことは、貴方にとっては大きなやり甲斐でもあり、同時に大きなプレッシャーでもあるはずです。


もし仮に貴方が目的を共有してモチベーションに主体性がある人間でないならば…

或いは、もしも貴方が目的思考の人間でないならば…

或いは、最悪、貴方がその両方とも欠けているならば…

私の与えるプレッシャーは貴方を潰してしまうリスクを孕んでいるよね?


私は常に本気の連鎖による真剣勝負の連続を提案していく…


簡単に言えば、兎に角自分が痛くないことが大事な人間は、それに耐えられない。


「貴方ならば、耐えられる。」


それが私が選び抜いた少数精鋭。


我がハートの騎士団…

私だけのKnightなのよ。


「貴方は、何方かな?」


さて、この愚問にどう答えてくれる?


to be continued…

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