私には『平家物語』を音読する習慣があります。
声を出してみると、
頭がちがった働きをする感覚がある。
ギリシャの哲学者が逍遥、対話のうちに思索を深めたのも偶然ではないかもしれない。
寡黙な貴方…
沈思黙考は、小さな袋小路の中に入り込んで、出られないということになりかねないわよ。
私は書き上げた原稿を読み直して、手を入れます。原稿は黙って書くけれども、読み返しは必ず音読します。少なくとも声を出すつもりで読みます。
そして、もし、読みつかえるところがあれば、必ず問題が潜んでいるから、再考しなければならない。
沈黙の読み返しでは、大抵こういうところを見逃してしまうから…
声は、目だけで見つけることのできない穴を発見する。声は、思いの外、賢明なのよ。
以前Blogに『平家物語』の素晴らしさについては、綴ったことがあります。
やはり、声によって洗練されている。
音読してみれば、理解できる。
とどこおるところがなくて、流麗。
恐らく琵琶法師の声による無数の推敲を経て、結晶的純度に達している。
この作品を音読する習慣は、声で考えることの大切さを再認識するためのものです。
あ、でもね、声にすると考えていることが純化される例もあるんだけれども、なんでも話して良いとは限らないのもまた事実。
それは…
𝑻𝒐 𝒃𝒆 𝒄𝒐𝒏𝒕𝒊𝒏𝒖𝒆𝒅…

