2025年05月
負け犬の遠吠え【Blog限定記事】
「百々果さん、嫉妬しちゃうよ。」
貴方がそんなことを言うなんて…
『ねぇ…知ってる?
〝嫉妬〟ってね〝自分の本音〟を教えてくれる感情なんだよ。
たとえば…
シチュエーションは少し違うけれども、
誰かがうまくいってるのを見たとき、
「すごいな」と思いつつ、なんだかモヤモヤした気持ちになったりしない?
正直、心の奥の奥の奥の奥のほうで、
「僕(私)の方がちゃんとしてるのに」って思ってる自分がいる。
でも、じゃあ、どうしたらいいの?
…そのもどかしさが、つい相手の悪口や嫌味というカタチで表出してしまう。
でも本当は、自分の気持ちのやり場がわからないだけだったりしないかな?
〝嫉妬〟は、貴方が〝本気で手に入れたいもの〟を教えてくれてる。
それは〝負け犬の遠吠え〟…?
いいえ。
〝本当の自分の声を聴くチャンス〟なのよ。
じゃあ、そのモヤモヤとどう向き合えばいいのか?
悩める貴方にヒントを3つあげる。
① 嫉妬の奥にある〝本音〟を見つける
悔しいの裏には「自分もやりたい」がある。
そこに素直になってみなさい。
② 比べず〝自分のやり方〟に集中する
相手を否定するより、より貴方らしく。
③ 嫉妬を〝行動のきっかけ〟にする
「くやしい」って感情も、使い方次第で〝エネルギー〟になるよ。
嫉妬は、弱さじゃなくて〝自分を知る入口〟
私はちょっと拗ねた貴方も、
ちゃんと認めてあげてあげたいよ。
追伸
①私が欲しい。
②貴方らしいやり方、貴方のペースでいいよ。
③全力でぶつかっておいで。
検討を祈るよ。
知覚に過ぎない~ヒュームの知覚の束~【Blog限定記事】
デイヴィッド・ヒューム。
彼は、イギリスの経験論の流れをくむ哲学者。
彼は〝知覚〟に着目していた。
私たちは近くに基づく印象で自己を捉える。
例えば、痛いとか、熱いとか、そんな風に…
そこで、人間をそんな無数の知覚の集合体に過ぎないとして、次のように表現した。
「人間とは、思いもよらない速さで次々と継起し、たえず変化し、動き続ける様々な『知覚の束』ないし、集合体に過ぎない。」
つまり、私たちは自分という実体があると思い込んでいるけれども、なんとそんなものは存在しない…
彼にいわせるとそれは『心の中の劇場』に過ぎない。
次々と何かが現れる舞台があるだけ…
更に私たちは日頃、確固たる自己や素の自分がいて、それを様々な態度に装っているだけのように思いがちだよね。
でも、その装っている自分も、その時々の本当の自分なんだよ。
全て、有りの儘なんだ。
貴方を見ている私…
貴方を触る私…
そんな知覚の集合体…
己の正体について、
思考を巡らせる時には必ずと言って良い程、
彼に遭遇する。
「久しぶりだね…ヒューム」
奸佞邪智【プライベート限定記事】
私に逢いに来てくれた貴方へ
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続きを読むラスト・インプレッション【Blog限定記事】
貴方の晴れやかな挨拶や、清潔感のある身だしなみ…〝ファースト・インプレッション(第一印象)〟は、最高だった。
だけど…
それと同じくらい〝ラスト・インプレッション(最後の印象)〟が肝心なの。
どれだけ盛り上がっていても…
「急いでいるんで」と挨拶も適当に、くるりと背中を向けて直ぐにスマートホンを触りながら、さっさと消えてしまっては、興醒めする。
格式のある料理店や旅館は、帰り際は「お越しくださり、ありがとうございました。どうぞお気をつけて」と丁寧に挨拶をして、私が角を曲がるまで(恐らく見えなくなるで)手を振ってくれる。
そんな人を大切にする振る舞いに信頼感を抱いて「また来よう」と想う。
「終わりよければ、すべてよし」というように、
余韻の感じの良さが、とっても大切。
ほんの数分しか違わないのだから、
私の顔を見て、ゆっくり挨拶をしたり…
にこやかに手を振ってくれたり…
そのひとときを共に味わせて欲しいよ。
私も貴方に逢えたことへの喜びや感謝を、
惜しみなく伝えたいと想います。
今日も、貴方の心の中に心地よい余韻が響き渡りますように…
追伸
如何にも颯爽と消え去りそうな貴方が、
何度も振り返る姿は、愛らしくて堪らない。