百々果のお庭

2025年06月

「好き」という言葉は「好きにしていい」という言葉と同義語ではない。


それでも、案外自分を好きと言ってくれる相手をいい加減に扱う人たちも少なくないんだね。


いや、そんな人間ばかりなのか…

その態度は、フランクを超えて無神経の域。

フランクと雑は、全く別物。


フランクな態度には、ざっくばらんな中にも相手へのリスペクトや思い遣りが必ず根底にある。対して、雑な態度とは、ただひたすら本人の好きなように振る舞っているだけ…


愛情でも友情でも、好きの度合いが互いに同レベルなら問題ないけれど、大抵はどちらか一方が相手よりもっと「好き」

だからどうしても「好き」の度合いが弱い方の人は「好き」がより強い方の人の愛情表現に慣れる傾向にある。

それが当たり前だと思うほど、相手のことを雑に扱い出す。そのうち、相手の「好き」という感情を利用するようにもなってしまう。


そんな無礼なことはないのに…


心からお互いのことを好きでいられる関係なんて、簡単にできるものじゃない。

それくらい貴重な気持ちなのだから、ありがたく想い、大切にしなければならない。


「好き」という気持ちは、

好きな人に対して惜しみなく与えたいもの。


そんな真心につけ込むなんて、

決して、あってはならないよ。


「好き」に、甘えるな。

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「こんなに丁寧で優しい女王様見たことない。

本当に女王様っぽくないんですね。」


……


その人間の本質を見抜きたいなら、丁寧に接して、自分から与えて、ちゃんと大切にするといい。


その結果、感謝や丁寧さが返ってくるような、ホカホカあたためてくれる人を選ぶべきよ。


逆にお礼すらない人間、何故か調子に乗る人間、返そうとする姿勢が全くない人間なら〝与えない人間〟だから、そっと遠めの距離で関わる。


優しくされた時の対応に、

その人の人となりが表れる、そういうものよ。


…というと、

「見返りを求めて優しくするのはどうなの?」

「そういう下心って見抜かれない?」

…などという声が上がりそうだね。


確かに、

「見返りが欲しい!ください!」

「絶対に見抜きたい!!!」

という感情しかない儘に優しくすると、

それは相手に伝わるだろうね。


しかし本来、人に優しくするという行為は、

〝自分がやりたいこと〟ではないのかな?


このBlogを読んでいる貴方も、できる範囲で他者に優しくありたいと想っているはず。


だから、丁寧に接して、自分から与えて、ちゃんと大切にするというのは、相手の本質を見抜く以前に〝自分がそうでありたいからすること〟よね。


〝ありたい自分で素直に振る舞うと、必ずおまけの本質を見抜ける特典がついてくる〟ので、いつも通り、人に優しくして、観察していたら、自然とその人の本質が分かるよ、という話だよ。


追伸


あまりお勧めしないのは、

〝見抜くために疑う行為〟かな…


どういうわけか行動していない人間ほど、自分からアクションを起こさない割に相手を疑うことが日課になっている。


たとえば、私に大して逢いにも来ないくせに…


「百々果さんのこと、信じて大丈夫ですか?」「親切過ぎる…何か騙そうとしてないですか?」

「もしかして、僕のこと好きなんですか?」


「私が信用するに値する人間か如何か判断するのは、貴方でしょう。」

「貴方を騙して私に何のメリットもない。」

「好きか嫌いか…私は貴方に関心すらないよ。」


自分からアクションせず、来るものを疑っていても何も分からないよ。


分かりたいなら、能動的に動くこと。


その結果、相手がどう動くのか?に答えは在る。

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貴方は、今年の私の誕生会に来てくれると約束してくれた。


「でも、よろしいんでしょうか?

長く仕えられているKnightの方々は…」


過去を共にしてきた時間の長さは、今の自分が創り上げる人間関係にはあまり関係がない。


運命という言葉を軽はずみに遣うのは、やはり少しばかり気が引けるけれども、出逢ってからたった数時間で分かり合えてしまう程、運命的に相性の合う人間はやはり存在する。


極端に言えば、明日唐突な出逢いを果たして、Knightになり得る人物が現れることもあるかもしれない。


〝結びつきの強さ〟というのは、

過ごしてきた月日ではなく、

その〝濃淡〟が決めるものだと想う。


もうすぐ1年だね…


いつも本当にありがとう。

感謝しています。

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「百々果さんは〝優しい〟ですね」


…優しさ。

多分、そうでもないんじゃないかな…


優しさと自己防衛ってとても似てるから。

何方も表向きには他人への親切心や慈愛のように見えるけれども、よく視れば明確に違う。


優しさが、自信を顧みない行いだとするのならば、優しさに見せかけた自己防衛は、自分の立場や状況をこれ以上悪化させないように振る舞う行いを指す。


もちろんそれが悪いことだと指摘するつもりはないよ。


私にも貴方にも身に覚えがあるだろうから…


ただ、あえて言うのであれば、

あれは、優しさではない。


優しさを生み出す行為でもない。

自分が知らない痛みへの共感は、分かったフリでしかないんだよ。


痛みも苦しみも、傷つけられることも…

もう、たくさんだ。


でも、人は傷つけられた分しか、

優しくはなれないかもしれないから…


私はあの日に、ずっと感謝してる。

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