本日は月曜日。
AMANDAは定休日の為、私はオフだ。
然し殆どの国民にとっては、憂鬱な週始まり。
私に仕える従者はプライベートに関するネガティブな話題を滅多に出さない印象だが、愛奴は…私の足許にてよく愚痴を吐いている。
私の心…此処は秘密の楽園だ。
貴方の好きな様に振る舞ったら宜しい。
さて、私は以前X(旧Twitter)かBlogか何処かで…ピンチの時の「面白くなってきたじゃ〜ん」の有効性について綴った事があったと記憶している。実はあの一言の前には、ある〝重要な一言〟が存在するんだ。
実際のところ、本当の緊急事態…大ピンチの時に、流石にいきなり「面白くなってきたじゃ〜ん」は、厳しいものがある。
彼方の世界で奮闘中の我が国民に向けて、
大ピンチとの向き合い方を記しておこう。
……
それと鉢合わせてしまったら、
先ずは、大きく深呼吸。
そして「〝なるほど、そうきましたか〟」
…と努めて他人事の様に飄々と呟く。
すると、驚き!
神通力らしきものが降りて来て、
感覚が研ぎ澄まされる…
目の前の事に集中する準備が整う。
此処で初めて、
「面白くなってきたじゃ〜ん」だ。
私は「面白い」という言葉が好きだ。
人生に於ける分かれ道に遭遇したら〝より面白い道は何方だろう?〟と考える思考の癖がある。そして自身の直感を信じて進んでいく。
〝面白い〟という言葉。
一説では、天照大神が弟の悪行に怒り、天岩戸に隠れた神話が起源とされている。
太陽神(天照大神)が隠れ、国中が闇に包まれた事で世が乱れてしまった。
残された神々たちは思案した結果、岩戸の前で笑いながら舞いを踊る。
その余りにも楽しそうな姿に、太陽神(天照大神)が岩戸の扉を開けて外に出て来た時、世界は再び明るさを取り戻し、神々の顔(面)が白く照らされた事を意味している。
どうすれば光を取り戻す事が出来るのか…
1300年以上前の神話が教えてくれる。
そうよ…
ピンチの時こそ笑い、踊り狂え。
困難を面白がったその先に…
最大の結果が待ち構えているんだよ。
追伸
誰にも傷が付かない様になんて…
一人で踊ってくれるなよ。
堂々と悲鳴を上げて……
私の名を、叫びなさい。
その冷たく惨い炎に焼かれながら、
共に…踊り狂おうではないか。
堕ち切った…腐敗した世界であっても、
私が、楽園に変えてやる。
大丈夫…
何も心配するな。