先日、私はカフェで一人読書をしていた。


不意に周囲を見渡して…


カップルや友人同士が向き合って座っていながらも、無言で俯き、瞳は自らのスマホやタブレットに見入っている場面は、当たり前の風景になったんだと、実感した。


先日、私の足許を訪れたM紳士…


貴方は、あの日…

当日に私を見つけたと言っていたね…

気になって仕事中にも関わらず、

Blogを読み進めてしまった…

とりあえず五反田まで移動して電話してみる。

逢えなければ、縁がなかったと想って帰ろうと想っていた…


当日キャンセル枠に鳴った電話だった。


「男って、未練がましい生き物だからね…

それぐらいしておかないと…」


私は貴方の弱点を素直に見せてしまう

その無邪気さに心打たれたのよ。


その間にもテーブルの上に置いてあった貴方のスマホには通知が何件も来ていた…

忙しい人なのだろうと、想ったよ。


「嗚呼…少し待って…

もう、これ電源切っておきます。

考えたくない。

この時間に集中したい。」


私、とっても嬉しかったよ。

全て投げ出して、私と〝ふたりきり〟になるって行動で示してくれたことがね…


私はどんな相手でも、

〝目の前の人を最優先する〟ことが、

人として当たり前のマナーだと想っている。


すっかり麻痺しているようだけれども…

本来、わざわざ時間をつくって逢っているのに、他の人にメッセージを送ったり、ネットを検索したりすることは、大変失礼な行為だよ。


ある研究では、テーブルの上に使われていないスマホが置いてあるだけで、話の内容が変わってくるという結果がある。

無意識にいつ中断されてもいいような軽い話題をするようになり、人との親近感も変わってくるという…


私は幼い頃、本を読みながら食事をとる習慣があった。食事が苦痛だったから誤魔化したいという理由もあったのだけれども、ある日、新しく雇った世話人から厳しく注意を受けた。


「百々果様…

食べる時は、食べることに集中しましょう。

それが人として当たり前の行儀作法なのです。」


彼女の言葉にハッとしたよ。

反論の余地なし。


『ごめんなさい。もうしない。』


必然的に世話人達と対話する機会が生まれた。


誰かと食事する楽しみを感じるきっかけ…

孤立していた私にとって〝私の話を聴いてもらえる〟という喜びと安心感は大きかったと、振り返って、想う。


時代なんて、関係ない。


向き合って対話するから、

相手のことをちゃんと視て、大切にできる。


「出逢えて良かったと想える人のうちの一人」

…そっくりそのまま…お返しします。


帰り道の傘には、助かりました。


ありがとう。

感謝しています。


追伸


彼女には、その後も〝ながら動作〟は特に駄目だと厳しく躾けられた。


「百々果様…

時間はほとんど変わらないのですから、ご挨拶をする際には、きちんと立ち止まりましょう。

お相手に身体ごと向けるだけで、印象は全く異なり、次に発せられる言葉も変わってきます。

そして…その所作はとても〝美しい〟のです。」


便利な道具や忙しい時間に流されて、

人との〝正しい距離感〟を見失いたくない。

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